開成高等学校 入試対策
2025年度「開成高等学校の国語」
攻略のための学習方法
現代文に関しては、かなり高度な文章が出題される。では、『高度な文章』とはどのような文章のことをいうのだろうか。結論から言えば、『抽象的で極めて論理的な文章』ということである。論理的文章であるので、しっかりと文脈を辿っていく文章読解力があれば、論点が何なのか、筆者の論証の進め方、つまり「筆者の考え方」の軌跡を明確にすることは、それほど困難ではないであろう。
その際には、何度も反復して使用されている『単語』が重要になってくる。特に、『名詞』は重要であり、抽象名詞は筆者の考え方を補完するうえでその有用性は極めて高い。本文を一読する過程の中で、「これは」と思う『言葉』はマルで囲んだり、傍線を引いたりしておく習慣を日頃の学習においても定着させるべきである。
また、各設問に解答する場合には、設問の対象となっている個所の前後をしっかり読み込むことが不可欠である。また、キーワードは何か、繰り返し使用されている「言葉」が、文章全体の中でいかなる役割と意味を持たされているのかを見抜く力が必要である。
その力を習得するためには、論理的文章に読み親しむことである。例えば、各出版社で販売している「新書」を読むことも論理的文章読解の力を養成するには最適であろう。「新書」はさまざまなジャンルを扱っているので、読む場合には「自分の興味のあるジャンル」を選択することが基本である。長期休暇とか土日など、時間に比較的余裕のある時期に読み込もう。
秋以降になって時間的に余裕がなくなってきた場合には、そのような「新書」を読むことは得策ではない。では、どうすれば論理的文章の読解力を向上させることができるのか。
その場合には、高度な論理的文章読解の演習を通じて、課題文である本文をじっくり読み込むことである。少なくとも、入試問題として出題される文章であるので、論理的分析に耐えられない文章ではないことだけは間違いないはずである。
したがって、入試までに時間的余裕のない状態で、論理的読解力を高めようとする場合には、演習の問題文を徹底的に分析することである。
また、小説問題に対する対策にもここで触れておきたい。ポイントは、登場人物の心情把握をいかに正確かつ迅速に行うかである。そのためには作者がその人物をどのように描写しているかを素早く見極めることである。
例えば、性格的に明朗なのか陰湿なのか、発言内容を通じてその人物の考え方や価値観などを把握するということである。そのような総合的な分析作業を経て、登場人物の人格やキャラクターを鮮明にすることが可能になるのである。
特に、小説の場合には、間接的な情景描写を通じて人物の心情描写を行なう手法を用いるのが一般的である。入試問題においても、そのような情景描写を把握し、そのような描写を通じて、作者が登場人物をどのような特性・人格として描こうと意図しているのかを理解することがカギとなる。
いずれにしても現代文については、本文の分量もかなり多く内容的にも高度(特に論説文)であり、設問内容も記述式であるため、正確な文章読解力は当然のこととして、その上で「高度な文章表現力」を高校側が求める『力』であるということを十分認識するべきである。
その様な要求に対応するためには、過不足なく簡潔にしかも説得力をもった文章を手際良く書き上げる練習を行わなければならない。そのような文章表現力を磨くには、自分が書いた文章を誰か他人に「添削」してもらうことである。他人の客観的評価が加わることで文章作成能力は飛躍的に向上する。
古文についても、設問はほとんどが内容把握に関する問題であるので、古典(当然ながら漢文も含む)文法などの知識だけではなく、内容把握(当然ながら人物描写や心情描写の把握と理解)をしっかり行えるように近世の古典作品を扱った問題演習をしっかり行うことである。
将来的な大学入試を考えた場合、大学側が、というより社会が求める人材像の要件は、『自分で考え、説得力ある自分の言葉でいかに相手に自分の考え方を伝えられるか』ということである。そのような意味では、現代文の問題文をじっくり読み込む作業を通じて自身の論理性を鍛えてもらいたい。
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2025年度「開成高等学校の国語」の
攻略ポイント
特徴と時間配分
大問1は、現代社会に関する社会学的分野に関する論説文読解問題である<23分>。すべて記述式問題。本文の本質を読み取り、的確に答案をまとめ上げる記述力と論理性が求められる。漢字の書取りが4題出題されている。
大問2は、随筆に関する総合問題である<13分>。家族の最期にあたって、息を引き取りそうになったときでも、最期を家族や親族とともに過ごすのではなく、いつも通り自分らしく過ごす(会社で通常通り仕事をする)という考え方を持った「私」の「うち」に関する随筆である。
大問3は、古文の読解問題である<14分>。本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』からの出題。本居宣長は江戸時代後期の国学者である。代表的著者に『古事記伝』や『源氏物語』の注釈書がある。
【大問一】現代社会に関する社会学的分野の論説文読解問題
- 時間配分:23分
『「ネット世論」の社会学 データ分析が解き明かす「偏り」の正体』(谷原つかさ著)。
(問一)<2分>漢字書取り問題である。「矛盾」「汚」「脳裏」「据」である。完答を目指したい。
(問二)<6分>内容把握記述問題である。本文中の「世論はあいまいな存在」に関する記述問題である。本文で筆者は「輿論」と「世論」を区別して論述している。前者は「感情に基づいた意見」、後者は「論理や理性、知識に基づいた意見」としているが、この両者は「きれいに二項対立的になるものではありません」(52行目)とある。つまり「あいまいな存在」なのである。
(問三)<9分>内容把握記述問題である。リップマンが生み出した重要な概念に「ステレオタイプ」がある。つまり、「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」のである。結果として「情緒的なステレオタイプによって生み出された世論は、やはり情緒的」になってしまうのである。これが「リップマンの警鐘」の内容である。
(問四)<6分>内容把握記述問題である。本文では「テレビ番組などで、…『ネットではこう言われています』といいながら、Xの投稿を紹介」する場合もあるが、これは「またまた…担当者がピックアップした個人のつぶやき」かもしれないのである。つまり、そこには「普遍的な民意」を表明しているのではないのである。
※本問に関連し以下のような類似問題に挑戦してみよう。
問題1 記述問題
問1 本文で「世論」は「つかみどころがないもの」と述べられているが、筆者はその理由を「世論」に含まれるどのような内部矛盾に求めているか。本文中の言葉を用いて説明しなさい。
解答例: 筆者は「世論」が「つかみどころがないもの」である理由を、その概念の「構文的な内部矛盾」に求めている。すなわち、「世論」を構成する「Public(公衆)」が「集団や普遍的なもの」を示すのに対し、同じく「Opinion(意見)」は「個人的な個と結びつけられ、やや内面的で主観的な表現」とみなされる点にある。これにより、「世論」は「社会を代表する普遍的な民意」という側面と、「個人個人の勝手な心情表明」という二つの側面が絶えずせめぎ合い、その本質を捉えがたくしていると筆者は指摘している。
解説:
≪本文からの根拠の抽出≫
①「世論」は「つかみどころがないもの」であると明言している。
②その理由は「世論には、ある種の構文的な内部矛盾がある」と指摘している。
③その内部矛盾の具体的内容として、「Public」が「集団や普遍的なもの」を指すこと、そして「Opinion」が「個人的な個と結びつけられ、やや内面的で主観的な表現」とみなされることが挙げられている。
④結果として、「社会を代表する普遍的な民意」という側面と「個人個人の勝手な心情表明」という二つの側面が「せめぎたる」ことが「世論」の難しさであると説明している。
問題2 選択問題
問2本文において、新聞とテレビがそれぞれ「伝達するメディア」「表現するメディア」として対比されている。これを踏まえ、現在の「活字」メディアと「映像」メディアのそれぞれが抱える問題点について、筆者の見解として最も適切なものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。
ア.活字メディアは理性的な輿論を担う一方で、誤情報が拡散しやすい危険性を持つ。映像メディアは感情的な世論を形成しやすいが、娯楽としての側面が重視される。
イ.活字メディアは国民の意見を正確に伝えるが、広告主の影響を受けやすい。映像メディアは印象操作が容易であり、特定の政治勢力に利用される可能性がある。
ウ.活字メディアは知識に基づく輿論の形成に寄与するが、現代ではフェイクニュースやプライバシー侵害などの問題が生じている。映像メディアは感情的な世論を助長する。
エ.活字メディアは客観的な事実を伝えるのに適しているが、人々の関心を引きにくい。映像メディアは視覚に訴えかけるが、その情報の「真偽」を巡る議論が深まらない。
オ.活字メディアは事実のメッセージ伝達に優れるが、感情的な側面に欠ける。映像メディアは共感を呼び起こすのに長けるが、その情報の「真偽」が問われにくい。
解答: ウ
解説:
①新聞(活字メディア)とテレビ(映像メディア)の対比:
・新 聞:メッセージの内容や意図を「伝達する」メディア。活字から「メッセージ(事実)」を読み取る。記号化された論弁型の情報。公的な議論向き。
・テレビ:登場人物の印象や状況を「表現する」メディア。視覚的な情報。具体的な映像情報は「好き嫌いという私的な共感」を呼び起こす。
②現在の「活字」メディアの問題点:
・現代のX(文字のメディア)は、「理性的で知識に基づいているがゆえに民意として参照すべき『輿論』のメディア」であるとされている。
・しかし、現状では「感情的な、フェイクニュース、プライバシー侵害等、問題は山積みです」と指摘されている。
③現在の「映像」メディアの問題点:
・YouTube(映像メディア)は「世論」のメディアであるとされている。
・本文全体で「世論」は感情的な側面が強く、あてにならない概念として問題視されている。
④選択肢の検討:
ア.「誤情報が拡散しやすい危険性を持つ」は活字メディアの現在の問題として本文で直接的に述べられていない。「娯楽としての側面が重視される」もテレビの問題点としては言及されていない。
イ.「国民の意見を正確に伝える」は活字メディアの特徴の一部だが、その問題点とは直接関係ない。「広告主の影響」は新聞の危うさだが、現在の活字メディア全般の問題点として適切か疑問が残る。映像メディアが「特定の政治勢力に利用される」という記述はない。
ウ. 活字メディア:「知識に基づく輿論の形成に寄与する」は、活字メディアが「理性的で知識に基づく」という記述と合致する。
エ. 人々の関心を引きにくい」は活字メディアの問題として述べられていない。「情報の『真偽』を巡る議論が深まらない」は映像メディアの問題として直接は述べられていない。
オ.「感情的な側面に欠ける」は活字メディアの特徴として本文では言及されていない。「情報の『真偽』が問われにくい」は映像情報の問題に近いが、本文の主旨とは異なる。
以上のことより選択肢ウが最も適切であると判断できる。
【大問二】他の家庭とはちょっと違う価値観(たとえ家族が息を引き取りそうなときでも、その最期を看取るのではなく自分らしいことをするのがよいという価値観)を持つ『吉本家』に関する随筆文
- 時間配分:13分
出典は、『隆明だもの』(ハルノ宵子著)。
(問一)<6分>内容把握記述問題である。
どのような「点」が他の家庭とは違うのか、を本文から正確に読み取ること。本文には「最期は家族に手を握られ、号泣され名前を呼ばれながら旅立ちたい―というメンタルは、残念ながらうちの誰にも無い」とある。
(問二)<7分>心情把握記述問題である。
家族の最期を看取れなくともよい、という価値観の家庭であるので「父の臨終に立ち会えなかったことに対する後悔の念」ではない。本文に「…車輪の転がるままの交叉点を横切った時、空気がキラキラと光り外灯が眩しく映った」のであり、その時「予感=(父の死)」を感じたのである。したがって、看護師に「実際には何時頃でしたか?」という質問は、自分の「予感」が当たっていたのかどうかを確認し、そこに家族の「繋がり」「絆」を確かめたいという心情が読み取れる。
※本問に関連し以下のような類似問題に挑戦してみよう。
問題1 記述問題
問1 筆者は、最終段落で「もちろんその声は、韓国出張中の妹だって、同じ病院に入院中の母だって聞いていただろう。」と述べている。この一文には、亡くなった父と筆者、そして妹や母との間にどのような関係性や心情が表れていると考えられるか、具体的な記述に触れながら分かりやすく説明しなさい。
解答例:父の「じゃあな!」という声は、筆者だけでなく遠く離れた妹や病院の母にも届くことを願う、父の変わらぬ家族への愛情と絆の示唆である。筆者は、自身の不在にも関わらず、父が最期まで家族を思い、日常と変わらない別れの言葉をかけたと信じることで、共有できなかった死の瞬間を、父と家族の間に確かに存在した愛情で埋め合わせようとしていると考えられる。これは、死を超えた家族の深い結びつきを表していると考えられる。
解説:
①問いの分析: この問題は、最終段落の一文から、亡くなった父と残された家族(筆者、妹、母)との間の「関係性」と「心情」を、本文の具体的な記述に触れながら多角的に深掘りすることを求めている。
②「関係性」と「心情」の把握:
・父と筆者: 筆者は父の死に際に立ち会えなかったことに対し、「あっちゃ~…やっちゃった!」と後悔の念を露わにしている。しかし、その直後に「でもこれでいいんだ」と自らに言い聞かせ、父の「じゃあな!」という声が聞こえたと描写することで、死の瞬間を共有できなかった無念さを乗り越えようとしていることが窺えるのである。父の「じゃあな!」は、日常の別れの言葉であり、飾らない父と筆者の関係性を示していると考えられる。
・父と妹・母: 父の「じゃあな!」という声が、韓国にいる妹や同じ病院の母にも届いていると筆者が想像する点に注目すること。これは、距離や状況を超えても、父の家族への愛情や思いが常に存在し、家族間の深い精神的なつながりがあったことを示唆しています。父が最期まで家族を思い、その存在を感じていたという筆者の解釈が込められているのである。
問題2選択問題
問2「でもこれでいいんだ。これで、どんな大切な猫だろうと(人間と動物の区別ナシ!)、うっかり病院で死なせたり、路上で事故に遭い無惨な姿で見つけたり―すべては運とタイミング。死の瞬間は誰だって1人なんだ。」について、筆者の心情として最も近いものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。
ア.死に直面し、人間の尊厳よりも生命の普遍性を重視する冷徹な視点。
イ.予期せぬ死への衝撃を受け入れつつ、避けられない運命として諦観する心境。
ウ.自己の行動を悔やみながらも、死という現実から目を背けようとする逃避の感情。
エ.生者の側から死を客観的に捉え、その瞬間に立ち会えないことへの後悔を合理化する思考。
オ.死の瞬間を共有できなかった無念さを抱えつつも、死は誰にでも訪れる孤高の出来事だと割り切る思い。
解答: オ
解説:
①設問個所の分析:
・「でもこれでいいんだ」
⇒ 直前の「あっちゃ~…やっちまった!」という後悔の言葉を打ち消し、自分を納得させようとする気持ち。
・「どんな大切な猫だろうと(人間と動物の区別ナシ!)、うっかり病院で死なせたり、路上で事故に遭い無惨な姿で見つけたり…」
⇒ 死が予期せぬ形で、無作為に訪れるという認識。
・「すべては運とタイミング」
⇒ 死の必然性と偶発性、そして人間の無力さを強調。
・「死の瞬間は誰だって1人なんだ」
⇒ 死が本質的に孤独な出来事であり、他者が立ち会うかどうかは二次的な問題であるという認識。
②選択肢の検討:
ア.死に直面し、人間の尊厳よりも生命の普遍性を重視する冷徹な視点。 「人間と動物の区別ナシ!」という表現は普遍性を示唆するが、「冷徹」というよりは、死の現実を受け入れる筆者の心情に近い。
イ.予期せぬ死への衝撃を受け入れつつ、避けられない運命として諦観する心境。 「運とタイミング」は「避けられない運命」に近いが、単なる「諦観」だけでなく、死という孤独な出来事への筆者自身の解釈が含まれている。
ウ.自己の行動を悔やみながらも、死という現実から目を背けようとする逃避の感情。「あっちゃ~…やっちゃった!」という後悔はあるものの、「これでいいんだ」と現実から目を背けているわけではなく、むしろ死のあり方を直視しようとしているため不適切。
エ.生者の側から死を客観的に捉え、その瞬間に立ち会えないことへの後悔を合理化する思考。 確かに客観的な視点も含まれるが、「後悔を合理化」というよりは、死の孤独性を受け入れることで、自身の不在を意味づけようとする心情が強い。
オ.死の瞬間を共有できなかった無念さを抱えつつも、死は誰にでも訪れる孤高の出来事だと割り切る思い。「あっちゃ~…やっちまった!」に死に立ち会えなかった「無念さ」があり、「死の瞬間は誰だって1人なんだ」で死の本質を「孤高の出来事」と捉え、それを理由に自身の不在を「これでいいんだ」と「割り切る」心情を表している。これが設問個所の内容と最も合致しています。
以上のことより選択肢オが最も適切であると判断できる。
【大問三】古文の解釈に関する総合問題
- 時間配分:14分
出典は、『源氏物語玉の小櫛』(本居宣長著)。
(問一)<3分>内容把握問題である。
直前にある「かたちをしのぶもの」にとっては「どのような状況」が「わろし(=都合が悪い)」のかを考える。
(問二)<4分>内容把握問題である。
「かはれることもある」とは「違っていることもある」ということでる。つまり、「何」における「何と何」が違うのかということを本文から読み取ること。
(問三)<4分>内容把握問題である。
「善悪の区別」をつける場合における判断における「儒教や仏教」と「物語」における両者の態様の違いを考えること。
(問四)<3分>内容把握選択肢問題である。
ア. 本文に「道々にしたがひて、かはれることの有りて、儒の道によしとする事の、仏の道には、わろしとし、仏の道によしとする事の、儒の道には、わろしとするたぐいも有りて、一様ならざる」とある。
エ.本文に「人の心・しわざのよきあしきは、いかなるぞといふに、大かた物のあはれ
をしり、なさけ有りて、よの中の人の情にかなへるを、よしとし」とある。
※本問に関連し以下のような類似問題に挑戦してみよう。
問題1 記述問題
問1 筆者は、世の中の「よし」(良いこと)と「あしき」(悪いこと)について、どのような考え方を述べているか。本文全体の内容を踏まえ具体的に説明せよ。
解答例:筆者は、世の中の「よし」「あしき」は、一般的な価値観から具体的な物事まで、時や状況によって常に変化する相対的なものであり、絶対的な基準はないと考えている。仏教や儒教の善悪でさえ一様でないように、物事の趣きを理解し、人の情にかなうかどうかで判断される場合が多いが、それも画一的ではないという多角的な視点を述べている。
攻略のポイント
大問1は、現代社会における「民意の形成」というプロセスの中で、「世論」と「輿論」の概念的違いを引用しながらも、最近のネット社会における「民意の形成」における「みんなこう言っています」とい場合の「みんな」とは一体「誰なのか」の検証は不可欠である、という筆者の論点を正確に把握する。
大問2は、家族の「絆」に関する随筆である。述べられている内容は、たとえ「家族の最期に際しても家族に手を握られ、号泣される」状況よりも、「自分らしく振る舞う(それが結果的に家族の息を引き取る瞬間に立ち会えなくとも是とする価値観)」を有する、他の家族とは違い「うちはどこかおかしいのかな?」と自問している。が、そこには家族の間での深い「愛情」と「絆」に裏打ちされた「強固な信頼関係」が存在しているのである。
大問3は、物事の良し悪しというものの判断は、一様ではなく事情に応じて変化する場合もあるのである、という主張を読み取る。